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2010年01月13日

「アンネの日記」を守ったミ―プ・ヒースさん死去、100歳



 先日、日本で制作されたアニメーションの「アンネの日記」を観たばかりであった。
 アンネの一家と別の家族の隠れ家生活を支える女性が登場していた。命をかけて、彼らの生活をサポートした。
 アンネは、ドイツ軍に発見された、収容所へ送られる時に、あの日記を隠れ家の部屋に残して行った。それを、ミープさんが大切に保存していたのだ。
 今まで、生存しているとは思わなかった。100歳も生きたそうだ。

 以下に書かれていたニュースの内容から、ミープさんのことが少しは分かった。
 ドイツの占領下で、オランダにも良心的な人がいたのだ。彼女のおかげで、「アンネの日記」が、世界中の平和を愛する人たちによって読まれるようになったのだ。

 人間を信じること、信じられることを教えてくれた彼女の冥福を祈る。平和のために、何が出来るのかを考えながら。

 『ヒープさんのウェブサイトによると、ヒープさんは1909年ウィーン(Vienna)生まれ。11歳のときに、オランダに移住した。

 1933年からアンネの父親オットー・フランク(Otto Frank)氏が経営するオペクタ(Opekta)商会に勤めていたヒープさんは、1942年からオペクタ商会内の隠れ家にいたフランク一家と別の家族に、自らの危険を冒して食料を届けた。だが1944 年、隠れ家はナチスの秘密警察に発見され、一家は強制収容所に送られた。その後、ヒープさんはアンネが書いた日記を隠れ家で見つけた。

 ドイツのベルゲン・ベルゼン(Bergen-Belsen)強制収容所に送られたアンネは、そこで病死したが、父親のオットー氏は、アウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所から生還を果たし、ヒープさんはオットーさんにアンネの日記を手渡した。

 危険をかえりみずにフランク一家を支えたことについて、ヒープさんはかつて、アンネ・フランク記念館「アンネの家(Anne Frank House)」を通じて、「一家を助けるために、できることをしただけだ」と述べている。』
posted by トッペイ at 01:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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